オーストラリアが温暖化ガスの排出枠に関して、年度を超えて使わなかった部分をキャリーオーバーしない、という決定をした。
キャリーオーバー枠を持っていたのはニュージランド、ドイツ、オーストラリアの3カ国だったらしく、その中でオーストラリアだけが枠の放棄をしていなかったが、今回放棄することにしたらしい。
自分自身は枠の測り方、使用量の測り方も詳しくないので、技術的な話には入らずに、個人的な印象だけで思うところは。
キャリーオーバーをしなくても、年度内で枠を排出権取引で売買できるなら、使用しないけど他の国が使用する、という状況を作るので、いま使うのか、換金するのか、という違いでは?という印象。
確かにキャリーオーバーすると、仮に排出権市場が低調だった時には売却せずに、好調な時に売却する方が国家財政的には有利になるので、積極的にキャリーオーバーを放棄する価値はそれほど感じられない。
一方で、キャリーオーバーしても枠の売買もしないのであれば、温暖化ガスを排出しないし、枠も他に排出するところに渡しもしないので、世界全体から見ると温暖化ガスの絶対的な排出量が減少するので環境にとっては良い効果をもたらす可能性はあるのだろう。
放棄することでなんらかの恩恵が受けられるならば、世界中で同じような動きが出てきそうな気がするけど、恩恵がないのなら、その動きの拡大は各政府のその時々の善意で成り立つのだろう。
それって継続性はあるのか?という疑問が先立つ。
特に排出権は余るけど、国家財政が厳しい国においては売買することの方が国レベルでみた便益は高いと考えることも自然になるだろう。
「これからの世代のために」といえるレベルで、国に余裕があれば継続されるのだろうが、「いまでさえ困難な状況」という国では、そんな悠長な話はできなくて、あえて悪い言い方をすると「先進国の道楽」と捉えられても仕方ない面があるような気がする。
こういう観点で考えると、制度設計に関する学問分野は何かいい解決策を持っていそうな気がする。
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