いろんな情報ソースを利用しないと判断を間違うでしょう。

パレスチナ、イスラエルの問題が勃発して、SNSや動画配信サービス、ウェブニュースなどで色々な情報が飛び交っている中で、中東をテーマに研究されている大学教授がコメントされているものが、今更ながらだけど「そうですよね」と再認識。

その概念は、色々な情報ソースを見比べて、それぞれの視点で述べられている内容をみて、自分の判断をしないと間違ってしまう、というもの。
パレスチナ、イスラエルもそうだし、ロシアとウクライナ、アメリカの民主党と共和党など、世の中の対立構造がどういう形に進んでいくのかは、それぞれの観点からの考えを比べないとわからないのだろう。
それぞれの立場に近い報道機関や地域で情報がどのように取り上げられて、述べられているのか、どの観点で正義や正当性を見ているのか、などなど。

自分の経験の中で、この観点を持っていなくて驚いたのは、イギリスのEU離脱のBrexitが可決されたこと、アメリカ大統領選でトランプ大統領が誕生したこと。
あの時は、日本の報道をみて自分の判断をしていて、その日本の報道はイギリスに関してもアメリカに関しても、一部のメディアの情報を吸い上げているだけで、反対意見や他の見方などを取り上げていなかったのだろう。
取り上げていても、ごく一部で小さな割合で、自分のアンテナでは受け取れなかったのだろう。

いまさら、という感じはするけど、英語で流れている情報を取り込むことが、違う観点や意見を自分で拾うための第一歩で、そこから情報を整理して、点から面へと整理していって自分なりの判断をつけて行動に移行していくことになるのだろう。

テロや戦争などの行為の背景には歴史的な流れがあって、両方にそれぞれの正義があって、どちらが正しいとか間違っている、という観点での話し合いはできない状態が暴力行為につながってしまっているのだろう。
その中で、最終的に落とし所をつける際の力関係は、その時点での政治力や経済力によるのだろう。
人道的観点、という言葉もあるけど、誰にとっての人道的なのか、ということも政治力によって違う結果になるのだろう。

日本で流れる情報は基本的にアメリカの考え方に沿ったものになっているような気がするし、それにのみ依拠して考えや意見を作ると、最終的な結果は近い状況になったとしても、考えの背景が合っていなくてその先の展開の判断を謝ったり、他の問題が起こった時の理解が間違ったりするのだろう。

いずれにせよ、幅広く情報を集めることができる技術がある世の中ではいくら時間があっても足りない。一方で、アルゴリズムで偏った情報が入りやすい環境ができている、ということもあるので、積極的に情報を撮りに行ったり、受動的に入ってくる情報の背景を考えることが、判断を行う上では重要なのだろう、と思った。

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