市場で競争力(価格なのか、商品なのか、どちらでもよいが)のない産業に、政府が支援を行うことの意味はどう考えたら良いのだろうか。
国レベルで、支援しないよりもしたほうが良い、という判断があっての話だとは思うが、その支援したほうが良い、が具体的にどの部分で発生するのか次第な気がする。
例えば、支援をしないことで、その産業が国の中で衰退していって、雇用が減少して、失業者の増加、税収の減少が発生し、合わせて生活保護などの支援が必要になる場合、その合計したものと支援する金額の多寡で判断をするのだろう。
競争力のない産業を支援することで所得再分配を行なっていると考えるのであれば正当化されるような気がする。
一方で、競争力のない産業が延々と競争力を持たないまま進むのであれば、そこに投入されている資源や労働力は、他の部分に回すことでより有効に活用できていたのであれば、社会全体で見れば無駄が発生してしまっていると考えることもできる。
資金や設備は、ある程度までは他の産業に回すことができるが、労働力に関しては個人によって能力の差があって、昨日までAという産業で働いていた人が、今日からBという産業で働けるかというと、それほど簡単なことでもないのだろう、と想像すると、支援をすることで労働を続けるほうが、無職に一時的にでもなることよりは、良い状況と考えることもできる気がする。
それ以外の考え方としては、支援する産業の技術力を国として失うことが、全体で見て損失が大きいという点もある。
商品や技術の供給体制が世界的なレベルになっている時代では、自国で行うよりも輸入に頼るほうが経済効率性が高いものはたくさんあるのだろうが、それによって自国内での技術が失われ、輸入元の国と関係が悪化した際に、その技術を利用した活動ができなくなることが想像される。
その観点では、価格競争面で競争力のない産業であっても、自国の全体の構造から考えると維持するほうが全体最適に向かうのであれば、資金支援などを通じて産業を保護することは国益に適う、という点で正当性があるのだろう。
資源開発などはその意味では典型的な例になるし、技術開発も同じように支援対象になるのだろう。
現状では、商業的な規模がなく、収益性がない産業でも、将来的に発展が見込まれるような産業に対しては支援を行うことは、きちんとした説明を行えば、幅広く理解を得ることはできるだろうし、反対の意見も減少していくだろう。
とはいえ、今の生活に困る人たちから見ると、いつかわからない将来の話をされても実感もないし、共感も得られないだろうから、そこの間をどうやって調整を取るのか、というのが政治家なのか、教育なのかの大切なポイントになるのだろう。
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